いきなり言ってしまうけど、「アメリカ」にうんざりしてるのだ。
光のツインタワーが現れるバックにかかる歌と言い、こないだのオリンピックといい…
「わかったわかった、わかったからもうやめれ!!」って言いたくなっちゃうのだ。
それが、過日の惨事で命を失った人々への冒涜だとしても、言わずにいられないのだ。
個人レベルで失った命を悼むことができないのはどうしてか。
今回の一連の出来事で、私は自分がアメリカという国の中では「マイノリティ」
だという自覚が持てたからのような気がしている。
行ったこともない国なのに、こんな感覚が持てるのだから、実際に行ったらどん
な気持ちになるのだろうか。
アメリカの人すべてがそうじゃないのはよぉ~~くわかっている。
ただ、現在のアメリカの全体意識は「差別意識」の強い状態になっていると、
「マイノリティ」である私は感じてしまうのだ。
もちろん、アメリカ本国内でも反戦運動はあるだろうけれど、それは私たちから
はまったくと言っていいほど見えない。
見る努力を最大限にしないと、というか、そうあって欲しいと思わないと見えな
い程度の微弱なものなのではないか。
殺す相手に自分と同じように心を通わせる友人がいて、愛する家族がいる。
そんな当たり前のことを当たり前に考えてしまうと、銃の引き金は簡単には引け
ない。
だから、「相手は悪魔だ、鬼だ、蛮族だ」と差別する。
物事を単純化して白と黒にしてしまえば、「排斥」は非常にやりやすい。
愛するもののために相手の血を流す行為は時としてやらなければならないことな
のはわかる。
ただ、「相手はワルモノだからじゃんじゃん殺しちゃってかまわない」って考え
るのは、
現実から目をそらした「逃げ」の思想以外の何物でもない。
アフリカから黒人をドレイとして大量にアメリカに運び込んだときに使った、差
別の思想と、
「アメリカのためにやむなし」と言いつつアフガンで行っている事との差って、
あるんだろうか。
私にはどうも同じものに思えてならない。
余談だけど、こないだテレビで「千と千尋の神隠し」を観た外国の人の感想をイ
ンタビューしてた。
それを見てると、「アメリカ人」と「ヨーロッパ人」との間には大きな違いがあ
るのだ。
アメリカ人は、「カオナシ」がなんなのかさっぱりわかってないようなのだ。
ヨーロッパ人はそれぞれがそれぞれに「カオナシ」に何がしかを見ているらしい。
もちろん、テレビだから、「デフォルメ」しているのは百も承知だけども。
これを見てたら、なぜ日本映画がヨーロッパでよく受けるのかが分かるような気
がした。
そして、なぜハリウッド映画がどれもこれも同じようなエンターテイメントしか
生まないのかも分かる気がした。
前出の戦争の話と直接の関わりがあるわけじゃないけれど、なんかため息が出て
しまうのだった…。
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